相好ごとに百千の

相好ごとに百千の ひかりを十方にはなちてぞ つねに妙法ときひろめ 衆生を仏道にいらしむる
阿弥陀仏に救われた人たちは、質問されたならば、自分が知らない教えもまるで知っていたかのように説くことができる。だから、その説法は智慧に満ち溢れ、光り輝く。その光は説法するものを照らすだけでなく、その教えを聞いているものを照らし、真実を明らかにする。この真実とは大宇宙の真理。真理だから、どんなに否定しても、否定することができず、段々とそうだなと思って聞くようになる。そして、いつの間にかその真実を物差しとして、物事を判断するようになる。例えば、整理も聞いていくうちに、段々と整理が大切だから、やらなくてはという思いになる。そうやって仏法の教えは皆なぜ実践しなければならないのか、納得できるものばかりだから、心からやってゆかなければならないと思うようになる。仏法とは智慧の教え。智慧を得れば、自然と仏様の見ている世界が分かる。分かるから、教えを実践するようになり、苦しみから抜け出し、幸せへと進んで行く。私たちは智慧がないから、他人の悪を正す為に責めてしまうし、責めている人に対して、それは良くないと責めてしまう。この責めることから離れようと思ったら、智慧が必要。智慧とは、世界を正しく知る力。正しく知るから、正しく判断することができる。正しく判断するから道を間違えることなく、自分の望んでいる方向へ進むことができる。説法とは、これをしなさいと強制するものではない。今進んでいる方向は、こんな未来が待っていますよと明らかにするだけ。それはどんな種まきが原因だから。この未来が嫌ならば、この種まきを止めて下さいと教える。この教えを納得した人は、自分から止めてゆくようになる。だから、教えには強制はない。
説法とは、仏様から見た世界を明らかにするだけ。それを聞いた人は、仏様から見た世界を理解するから、みんな苦しみから離れる為に自然と教えの通り実践してゆくようになるのです。

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