火塗の人は反論されないように徹底的に相手を叩き潰す

火塗の人は少しでも反論されると自分の思いを通してはならないと思っている。だから、このような人はいつも百パーセント正しい所に立っているし、少しでも自分は間違っていると思ったならば、自分を正しい所に立たせようと他人の悪口を言って、相手を否定する。
私たちはなぜだか分からないが、相手の間違いを指摘する人は正しい人だという思いがある。
だから、自分が間違っていると感じたならば、相手の間違いを責めることによって、正しい所に自分を置く。でも、そうやって正しい人間だと思えるのは、相手の間違いを責めている時だけ。相手を責めるのをやめると、相手に向けた刃は自分の方に跳ね返り、自分が責められているように感じて苦しむ。
だから、相手を責める人は百パーセント正しい所に自分が立っていなければ気が済まない。それは少しでも自分が間違っていたならば、責められているように感じるから。
責めれば責められるように感じる。それが因果の道理。
自分が正しい人間になる為に相手に向けた刃は、自分の元へと跳ね返り、“お前はどうなんだ、お前はどうなんだ”と自分を責め立てる。
だから、相手を責めれば責めるほど、責めた言葉は茨の鞭となって正しくなければならないと自分を縛り、苦しめる。
そして、自分が責められたくないから、自分は正しい人間でなければならないと思うようになる。それで、少しでも相手が反論してくると、正しい人間という自分のイメージが崩れるから、反論されたら、感情的になって相手を責めて、自分の思いを通してしまう。
そうやって、相手の意志を無視して自分の思いを通すと、今度はそれが自分に跳ね返り、相手が自分の意志を無視して思いを通してくるように感じて、思いを通されるのが嫌になる。だから、相手が少しでも反論できないように相手を無力にさせないと安心できなくなる。そして、それはまた自分へと跳ね返り、私の心を苦しみの底へと引きずり込む。
他人に向けた感情は鏡のように自分の元へと跳ね返ることが分からない為に私たちは苦しみから苦しみのタネを生み出し、苦しむ。その連鎖から離れることができずに苦しみ奥底へと引きずり込まれてしまうのです。

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