慳とはケチな心です。
ケチとはどんな心を言うのでしょうか。それは自分の為ならお金や物や時間を使っても何とも思わないが、他人の為には勿体なくて何も出したくないという心。自分の欲の為に大金を使うことは髭をなでるよりも易く、他人の為に僅かなお金を使うことは生爪を剥がすように辛いものです。もちろん、他人の為に出すのは嫌だと言っても、それは我のついている人に対しては別です。ケチな人でも、この人は思い通りになると思ったら、喜んで大金を差し出します。
でも、それは相手が自分の思い通りになっている間だけ、ひとたび相手が自分の思い通りにならないとなったならば、どんなに今まで仲良くしていても、手のひらを返したように冷たくなり、相手のことを見捨てる。それがケチな人です。
このケチな人は、どんなに仲良くしていても、嫌になったら簡単に相手のことを見捨てるので、相手も自分のことを嫌になったら見捨てると思っています。だから、相手に施しをしても、どうせ自分の元から離れてゆくと思っているから、相手のことを心から信じることはしません。また、人の心が分からないから、人はお金によってどうにでも動くのだと思っています。
例えば、中小企業の社長ならば、俺はお金を出しているから、社員は自分の思い通りに動いてくれると思っている。そこで気に食わないことがあったら、簡単に社員をクビにするし、離れたら、また、募集をかけたら、新たな人が来ると思っている。このような社長にとって、社員は自分の思い通りに動いてくれる道具であり、駒。その社員に喜んでもらおうなんて、全く思いません。これがケチな心です。
でも、このケチな人は、人を人だと思わないから、どんなに人に囲まれても、また、その人たちから認められてとしても、心の中にあるどうしようもない寂しさは消えることはありません。寂しいからこそ、認めてもらいたい。だから、ケチな人ほど、自分が認めてもらえるならば、簡単に大金を出す。そうやって、自分の存在を誇示して、認めてもらうと、その時は満足したように思うが、それも根本的な解決ではない。また、しばらくすると、寂しくなる。だから、認めてもらう為にどれだけでもお金を出す。その為、ケチな人ほど、お金をたくさん使うので、お金がなくなる。だから、ますますケチになって他人の為には全くお金を出さなくなってゆくのです。
このようにケチな人は、人を人だと見ないから、どんなに人に囲まれても、心は常に孤独。寂しさの中で、生きなければなりません。寂しいからこそ、欲に流れて、寂しさという現実を誤魔化そうとする。それでも、寂しさは解消されることはなく、苦しみ続けなければなりません。
では、このケチな人がこの孤独という寂しい世界から離れる為にはどうしたらいいか?
それはまわりの人を道具や駒として見るのではなく、人として見ることです。人として見たならば、相手には感情がある。だから、その感情を否定したら、みんな自分の元から離れて誰もいなくなるということを知らなければなりません。そして、人には感情があるから、温かく接してあげれば、喜ぶし、冷たくしたら傷つく。人は、物とは違うのです。そういうことに気がついて自分も他人も喜んでもらえるように心がける。そうすることで、孤独な世界から抜け出すことができます。

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