怠け心

次の懈怠とは、怠け心のこと。怠け心とは、少しでも楽をしたい、怠けたい、面倒臭い、嫌なことをやりたくないという心。苦しい時に、何処かにすぐに楽になる方法はないかと思うこと。思い通りにならない時に、自分が動かずに誰かが何とかして欲しいと思うこと。真面目にコツコツと積み上げて努力したくないと思うこと。思い通りに何でも進んでいる間はやる気になるが、何か壁にぶつかって前に進まないことがあると嫌になって、すぐに諦めてどうでもよくなること。欲に流れることが何よりも楽しみで少しでも時間があったら、欲に流れてしまう。また、欲にだらしなく、ここではこうしなければならないという時でも、自分の心をコントロールすることが出来ずに欲に流れてしまう。
また、先のことを考えず、目先の楽を求めてしまう、そして、その結果後から苦しい思いをして、自分だけなぜこんなに苦しまなければならないのかと愚痴を吐く。
このような心が懈怠の心です。
しかし、これ程までに楽をすることしか考えていないのに、本当はこの人は楽がしたい訳ではないのです。何故なら、楽をして欲を満たしても、その時は楽しいが、後には何も残らず、虚しいだけだからです。
では、なぜ楽をして欲を満たしたとしても虚しいだけなのに、それでも、少しでも余裕が出来たら、欲に流れてしまうのかと言いますと、自分の存在価値が低いからです。存在価値の低い人は自分のすることに価値があると思えず、誰かに迷惑をかけていると思っています。だから、真面目に生きても、誰も喜んでくれないし、何の意味もないと思っているので、どうせ意味がないなら、欲に流れて少しでも時間を潰そうとするのです。
つまり、存在価値の低い人は自分の人生に価値があると思えないので、時間を大事に使おうとは思えず、それでも、価値がないことに時間を使って人生が終わってゆくと思いたくないので、現実を誤魔化す為に欲に流れるのです。
だから、欲に流れるのは、それが楽しみだからではありません。無意味な時間を過ごしていると思いたくないので、欲に流れることによって、時間が過ぎていることを忘れているだけなのです。
欲に流れるとあっという間に時間が流れる。一時間でも二時間でも、七時間でも、一日でも、欲に流れた時間はあっという間に過ぎ去ってゆく。欲は時の流れを感じることなく、あっという間に未来に行くことができる。だから、欲にばかり流れている人は自分がどんどんと歳をとっていることも気付かず、まるで時が止まっているように感じている。
時が止まっているから、どれだけ時間を無駄に使っても平気になれる。何故なら時間はまだまだあるから。だから、欲に流れて価値のないことにも時間が使える。でも、そうやって欲に流れている間は自分が歳をとっていることに気付かないから、無常がやって来て、自分が歳をとったことを感じるのが、嫌になる。それで無常を感じないように、部屋の中の物を固定して動かさないようにしたり、反対に物を増やして、何かが無くなっても気付かないようにするのです。
しかし、そうやって時間が過ぎ去っているのを見ないようにしても、現実には欲に流れている間に時間はどんどんと流れてゆく。そして、何かを成し遂げるはずだった時間はどんどんと少なくなり、段々と何も出来なくなってゆく。
本当は何もしない間に人生が終わってしまうのは嫌なはずなのに、欲に流れている人は自分の人生に向き合うことなく、人生が終わってしまう。
それが存在価値の低い人であり、懈怠の人なのです。
だから、懈怠を無くしてゆくには、無常によって時が流れていることを感じてゆかなければなりません。時の流れを感じると今まで欲に流れて時間を忘れていた分だけ、自分が歳をとった事が知らされ苦しいですが、その現実を少しずつ受け止めてゆくことによって、段々と自分の人生にもやがて終わりが来ると知らされ、時間を大事にしなければならないと感じ、楽をしたいという気持ちが弱くなってゆきます。
以上が懈怠の心です。

コメント

  1. teshi より:

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    怠ける、というのは、すごく素直な本能のようなものだと思えます。心から怠けたい生き物だっているんじゃないか、ナマケモノみたいな動物だっているし。でも、自分のことをよくよく考えると、自分はそうではないみたいです。

  2. soyokaze より:

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    時間が無限にあったら、誰でも怠けます。命には限りがあるから、大事に使ってゆこうと思うのです。

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