心を失う

次に無慚無愧とは、人間として大事な心を失ってしまった状態を言います。
心を失うとどうなるのか。それは他人の苦しみや悲しみを感じなくなる。自分の言動によって相手が傷ついたとしても、頭で悪いことをしたと考えることが出来ても、心がないので、本当に申し訳なかったとか、何とか相手の心を癒してあげたいと感じることがない。だから、心のない言動しか出来ない。
また、相手が自分の気持ちを分かって欲しいと訴えても、心がないのでどうしてあけたらいいか分からない。そこでこうして欲しいと訴えても、形たけ言われた通り動くだけで、まるでロボットが指示に従って動いているようで、心が感じられない。だから、心を求めた人は悲しくなる。
このような人は多くは何が正しいか、何が間違っているかという正義にとらわれる。そして、正しいことなら、それによってどんなに相手が傷ついたとしても、貫いていいと思っている。そして、相手が自分が傷ついた気持ちを訴えたとしても、その人は自分が何か間違ったことでもした?と聞くだけで傷ついた気持ちを分かってはくれない。
それは分かろうとしていないのではなく、心がないから分からないのです。
心が無くなるとロボットのように正しいと信じたことをするようになり、相手の感情を無視して行動することが出来るようになる。
では、なぜそのように心が無くなってしまったのか?
それは小さい時に人として扱ってもらえなかったから、ただ正しいことはしなさいよ、間違ったことはしてはなりませんよ、と強制されて育った。
人間ならば、感情がある。どんなに頭ではこうしなければならないと分かっていても、感情が言うことを聞いてくれなくて、その通りに実践出来ない時がある。その時、親が自分の感情が傷つかないように、すぐに悪いことをやめなくても待ってもらった経験がなく、ひたすら「お前が悪いから直しなさい。」と責められるだけで、自分の感情を無視され続けると、やがて心が無くなり、ただ言われたことに、“はい”と従うロボットになってゆく。
心を失うのは責められたくないから。間違ったことをすると責められるから、責められない為に正義に従う。心があるとどんなに頭ではこうしなければならないと分かっていても、その通りにはすぐには実践できない。その時、親が感情を無視して徹底的にその人を責めて言うことを聞かせようとしたので、責められたくないので、心を失ってしまったのです。
心を失うとは、人間として一番大事なものを失うということ。心を失ったら、その人はもう人間ではない。単なる畜生と同じ。
何故なら、心を失った人は損得勘定や正義で動くようになり、何年付き合っても人間関係が深まることがない。
だから、長年親交のあった人でも、都合が悪くなったら、簡単に人間関係を切ってしまう。表面的な付き合いは出来ても、深い付き合いは出来ない、出来ないというよりも分からない。
そんなロボットみたいな人間が無慚無愧なのです。

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