弥陀成仏のこのかたは

弥陀成仏のこのかたは 今に十劫をへたまえり 法身の光輪際もなく 世の盲冥を照らすなり
まず始めに弥陀成仏とは何か?
弥陀とは、阿弥陀仏のこと。その阿弥陀仏が成仏された、つまり、仏に成られたのが、弥陀成仏ということです。
阿弥陀仏が仏に成られたということは、阿弥陀仏とは、もともと仏ではなかったということ。では、阿弥陀仏が仏になられる前はどんなお名前であったのかというと、法蔵菩薩という菩薩であった。
法蔵菩薩は昔世自在王仏という仏様から教えを聞いておられた。そして、仏法を長く聞いてゆくうちに、人々は智慧がない為に、世界を通して返ってくるものがかつての自分の姿であることも分からず、世界に対して負の感情を吐き、その報いによって苦しみ。自分の正義や権力をあて力にして、いつも不安に怯えている。この不安を取り除き、心から安心できる身にしてあげたい。
それが法蔵菩薩の願い。
でも、願いを起こしたとしても、それを果たす力が無ければ、私たちは苦しみや不安から離れることはできない。だから、法蔵菩薩はその願いを果たす力を得る為にとてつもない長い間修行され、仏になられた。それが阿弥陀仏。
この弥陀成仏のこのかたは今に十劫をへたまえりとは、法蔵菩薩はすでに十劫の昔に仏になられたのだから、私たちの苦しみや不安を取り除く力はすでにこの世に真理として届いている。
それが法身の光輪際もなく。
法身とは、私たちを仏にする力そのものが仏のお姿であるということ。すべての人に仏にする力が届いている。
だから、世の盲冥を照らすなり。世の中の人たちが智慧がなく、自分の種まきが世界を通して跳ね返って苦しんでいることに気付かず、世界を自分の姿が映っているだけなのに、それを権力や正義でねじ伏せて思い通りにしようとしているから、その報いで不安になり、苦しんでいる。これが世の盲冥。
この世の盲冥を照らし、すべては自分の種まきであったと知らせるのが阿弥陀仏の力。闇を照らす光。それが阿弥陀仏の光明なんだということなんです。

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