弥陀の本願不思議

誰かを好きになるというのは執着だろうか。執着とは相手を思い通りにしたいという心。そして、思い通りにならなかった時に相手を責めて、自分の思い通りにしようとする心。相手のことを好きになったのだから、その人を幸せにしてあげたいと思う心は、これは執着ではない。でも、現実にはどんなに好きになったのだから、その人に幸せになって欲しいと思ったとしても、相手が思い通りにならないと苦しくなる。思い通りにならない相手を大切にすることは難しいこと。どんなに頭では思い通りにならないのが当たり前なんだと思っても、心では思い通りにしたいと思うものが人間。だから、人間って自分が楽になることしか考えない醜い存在なんだなと思います。そんな自分のことしか考えないものだからこそ、阿弥陀仏はこんな人間を救ってあげなければならないと思われたのだと思います。人生はどんなに苦しくとも、仏法に触れた私の心は幸せになる。本当に弥陀の本願不思議を思わずにはおれません。

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