布施と三輪空の関係

仏法で布施をした時、私は誰々に何々をしてやったんだという気持ちを捨てなければならないと教えられる。
でも、人間とは、自己愛の塊。他人のために頑張った時ほど、自分はあなたの為にこんなにも頑張ったんだということを認めてもらいたいもの。この気持ちはどうしたらいいのか?
例えば、挨拶をした時に相手から挨拶が返って来ないと、悲しい気持ちになる。でも、挨拶は仏教から言ったら布施だから、挨拶は返してもらう為にするものではなく、相手に喜んでもらいたいからする。
だから、仏教の教えから言ったならば、挨拶が返って来なくても、するものが挨拶。その大前提で挨拶をしてゆくことが大事。
その上で、せっかく挨拶しているのに返してくれないと、寂しく思うものが人間。だから、この心を否定して挨拶をしなさいというのではなく、この感情を大事にしてゆく。そして、人間なんだから、自分が返して欲しいと思うように相手も挨拶を返して欲しいものだと思うようにする。
仏教とは、自分が望んでいるものをまず相手に与えてゆく教え。だから、挨拶を返して欲しいと思ったならば、まず自分が挨拶を返してゆく。その時に大事なのは、自分が挨拶を返してもらえないと寂しいと感じるように、相手も寂しいのだと思って言葉をかけてゆく。
自分も寂しいように、まず相手が寂しい思いをさせないように心がけてゆく。そうすることで、自分も寂しいと思わなくなる。寂しい時にまず相手から声をかけてもらいたいと思うから、声をかけてもらえない時に寂しい。寂しいからこそ、自分から声をかけてゆく。そうすることで、自分の寂しさも感じなくなる。
私たちは逆、挨拶を返してもらえないと、寂しいから、この寂しい思いを相手に与えてやろうとやり返す。そうすると、自分も寂しいように相手も寂しくなって、人間関係が悪くなる。
返事を返してもらえないと寂しいからこそ、まず自分が相手の寂しさを解消してゆく。それが大事ですね。

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