定散自力の称名は

定散自力の称名は 果遂のちかひに帰してこそ おしえざれども自然に 真如の門に転入する
自分は善ができると自惚れている間は、口で南無阿弥陀仏と唱えても、心ではまわりの人と比べる心でやっているので、それは念仏ではなく、念人。しかも、できない人を念じているから、どんなに善に励んでも、徳は身につくことはない。そんなものも、善に励んで己の醜さに気がつくと、念人から念仏へと変わってゆく。これが果遂の誓いに帰すること。そうなったならば、誰からも教えられることはなくても、自然に仏になる道が開けるので真如の門に入るのです。

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