安楽浄土にいたる人

安楽浄土にいたる人 五濁悪世にかへりては 釈迦牟尼仏のごとくにて 利益衆生はきはもなし
安楽浄土にいたる人とは、阿弥陀仏に救われて阿弥陀仏の極楽浄土に往生した人のこと。しかし、阿弥陀仏の極楽浄土に往生したといっても、肉体が死んで浄土に往生した意味ではありません。私たちは浄土とは死んだ後にあるものだと思っていますが、本当の浄土とは別に肉体が死ぬかどうかは関係なく心から煩悩がなくなり、清らかな心に変わったならば、そこが浄土であり、どこにいても阿弥陀仏の極楽浄土にいるのです。
だから、阿弥陀仏の極楽浄土に往生した人というのは、心から煩悩が無くなった人のこと。その人は生きているまま、人々の苦しみを取り除いてあげたいという菩提心を起こし、この煩悩に塗れた世界に飛び込み、教えを説いていかれます。
この時、阿弥陀仏に救われた人には、説法自在という自由自在に教えを説くことのできる力が阿弥陀仏の本願力によって与えられるので、まるでお釈迦様がこの世に現れたかのように、人々に真実の仏教を説いてゆかれます。
ここでポイントなのは、阿弥陀仏に救われた人は、阿弥陀仏の本願を説くのではなく、お釈迦様と同じように仏教を説かれるようになることです。仏教とは何か?それは仏様の眼から見える世界を私たちにそのまま説かれたものが、それが仏教なのです。例えば、仏様の眼から見たら、この世界はすべて儚き無常に見える。たから、無常なんだと言うことを説かれ、私たちに仏様の眼から見える世界を分からせようとします。そして、聞いた人がこの世が無常なんだと分かったならば、それが念仏なのです。だから、仏教と言っても、仏の眼から見える真実の世界を私たちに説かれただけです。阿弥陀仏に救われたならば、阿弥陀仏から仏の眼を頂くので、そこから見えている世界を私たちに説かれるだけなのです。お釈迦様も仏の眼を頂き説法された。だから、阿弥陀仏に救われた人も仏の眼を頂くので、お釈迦様と同じように自由自在に説法して、人々を救ってゆくことができるのです。

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