嫌だと思った人が動く

仏教では、たとえ汚したのは相手でも、それを嫌だと感じたならば、自分が片付けなければならない。そこで普通の人ならば、どうして自分が汚した訳ではないのに、自分が片付けなければならないのかと思うかも知れないが、それは自分が嫌だと感じているのに、その嫌だと思っている自分の為に動かなければ、自分の感情を無視することになるから。もちろん、自分の思い通りに相手が動いてくれたらいいが、動いてくれない時には、自分は無力感を感じる。私たちにとって無力感を感じることは苦しいこと。だから、無力感を感じた人は無理やりにでも他人を動かしてやらせようとする。そして、相手が少しでも思い通りにならないと、相手から馬鹿にされたように感じて腹が立つ。そして、馬鹿にされたくないから、余計、腹を立てて、相手を動かそうとする。結局、そうやって、動かそうとすると、まわりから人が離れてゆき、孤独になってしまう。孤独になるのは、寂しいこと。そうならないためにも、他人がしたとか、自分がしたとか関係なく、嫌だと思った自分の為に動かなければなりませんね。

コメント

タイトルとURLをコピーしました