天に唾を吐くようなもの

執着はまわりの人を無視して自分のことしか考えなくさせる心。それがなぜ恐ろしいのか?

それはたとえ自覚がなかったとしても他人を無視したら、自分が無視されているように感じて不安になるから。

これが唯識。

唯識とは心の世界。たとえ現実では誰も自分のことを無視する人なんていなかったとしても、他人を無視したら、自分が無視されているように感じて不安になる。

この時、私たちは、自分が無視したから無視されているように感じているのだとは思わない。

現実に誰かが自分のことを無視している人がいるのではないかと思って、犯人探しをする。そうやって、こいつが無視している相手だと決めつけては、目には目、歯には歯と無始仕返す。

でも、どんなに無視されたからと言って無始しても、心が楽になるのは、ほんの僅かな間だけ。しばらくすると、天に唾を吐いたように、自分が他人に対してやった行いが跳ね返り、今度は自分が誰かに無視されているのではないかと不安の霧に包まれてゆく。

自分が不安の霧から離れたいと思ったら、自分が天に吐いた唾を反省し、他人を無視することを止めること。そうしなければ、無視したら無視されるという負の連鎖から離れることは絶対にできないのです。

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