地獄は一定住処ぞかし

親鸞聖人のお言葉にいづれの行も及びがたき身なれば、とても地獄は一定住処ぞかしというお言葉がある。

これは考えてみれば、凄い言葉。自分は善のできないもの、悪しかできないものだから、どんな酷い目に遭っても文句の言えないものだということ。

このような境地に立っていたならば、人生苦しいと思うことはない。何故なら苦しみとは、自分はなんでこんな仕打ちを受けなければならないのかという所から起きるものだから。

でも、自分は地獄の堕ちて当然だという所に立っていたならば、どんな結果を受けても仕方ないと受け止められる。

だから、この世で苦しいと感じることはないのだなあと感じます。

人は善に向かっていたならば、必ず苦しみが起きるもの。

それは本当の善ができないからでもあるし、善に向かうからでもある。

その苦しみをこんな目に遭っても仕方のない自分なんだと思えたら、心は楽。

こんな境地にでれるのが弥陀の救いなんですね。

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