地獄の業

善導大師のお言葉に一人一日のうちに八億四千の憶いあり、念々になすところ、これ皆三塗の業なり、というお言葉がある。

ここで三塗の業とは、地獄、餓鬼、畜生に堕ちるような業のこと。地獄の業とは、思い通りにならない相手に対して、これもこの人なんだと許してあげることができずに、心の中で相手の存在を否定し、こんなに思い通りにならなかったならば、目の前からいなくなったらいいのにと思う心。心の中であん畜生、こん畜生と八つ裂きにしている心。相手の悪い所ばかりが目につき、よくもあんな悪い所がありながら、平気な顔をしているものだと思う心。別に相手が自分のことを責めたり、否定している訳ではないのに、自分のことを心をかけてくれないだけで、自分がこんな寂しい思いをしているのに、よくも平気でおれるな、よく分かった。私も目には目をやり返してやると、相手のことを恨む心。これが地獄の業であり、相手が悪いと思っている時には、そんな相手を八つ裂きにしようとする恐ろしい心を持っていながら、何とも思わないが仏教を聞き、苦しみは他人が悪いからではない。自分の心が生み出したものなのだということが知らされ、悪い心を起こさないようにしてゆくと、それでも自分の心の奥底から吹き上がる地獄の業火に驚愕する。善導大師は自分はこんな恐ろしい心が吹き上がる地獄の業を抱えたものだとご自身のことを言われたのです。

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