因縁和合2

ここで苦しみとはどんな苦しみなのか。それは自分とは結婚しているものだという我がある。それが現実には離婚して一緒に暮らすはずだった人がもう側にはいない。そうすると自分は結婚しているものという我を捨てることができない為に、ふとするとかつて自分にあったものが思い出され、今はその幸せがないことに苦しむのです。この時、離婚したという現実を受け入れ、自分は離婚したものだという所に我を置いたならば、離婚したということを前提に色々なことを考えるので、もしあんなことがなかったならば、離婚することなんてなかったなんだと思って、苦しむことはない。すべてのものは因縁和合することによって、生み出され、因縁が尽きることによって、自分のもとから離れる。仏教とは過去を振り返ってあの時こうしなければこんなことにはならなかったと悔やむ教えではなく、起きてしまったことは起きてしまったと仕方ないと明らかに見て、現実を受け入れて、今の現実でもできることを一つ一つやってゆく教えなのです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました