善にも二種類ある。

仏教には善と言っても二種類ある。
一つは心から相手の幸せを念じてやる善と、もう一つはやらないと責められるから責められたくないと思ってやる善がある。
ほとんどの人は善をするのは、責められたくないから善をしているのではないでしょうか。
それは多くの人が小さい時に善をしなさいと注意されてやらされてきたからだと思います。
責められたくないから善をしている人は、善をしていない人を見ると責めたくなる。その心は自分だけ善をしなければならないのはおかしい、お前も善をするべきだと思う心。
このようにやらない人を責める善は、仏教では善とは言わない。黒縄地獄にはまっている人だと言われる。
だから、この黒縄地獄にはまっている人にとって善をすることは喜びではなく苦しみでしかない。
やらないと自分の心の中にいる鬼が自分を切り刻むから、切り刻まれたくないから善をしている。だから、どんなにやっても幸せになるどころか、人生が苦しみに変わる。
世の中には善と言っても黒縄地獄の善をやっている人が多いから、頑張って善をやればやるほど、やりたくないという思いになる。
仏教で教えられる善とは、一度その素晴らしさが分かったら、死ぬまで続けたいと思うもの。なぜなら、善をやること自体幸せだから。
そして、善をやっていない人を見ても、どうしてやらないんだと責める心はなく、やったらいいのにと残念に思うだけ。
世の中、善をしない人を責めてやらせるのではなく、善の素晴らしさが分かる所まで教えてゆくことができたら、もっと幸せな世界ができるのになと思わずにはおれません。
まずは善ができなくても、自分も他人も責めないことですね。

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