分別心

私たちは醜い心を見るとどうしてこんなものは私じゃないと否定するのであろうか。それは自分は本当の善人にはなれないから、醜い心を否定することによって、自分を正しい所へと置こうとする。この世界を白か黒か、善か悪か、正か邪か、二つに分ける心を仏教で分別心と言う。私たちは世界を二つに分けることによって自分の中にある嫌な部分、見たくない部分を、これは自分じゃないと自分の外に追いやる。そうやってこれは自分じゃないと否定している間だけ、自分は正しい人間のように思うことができる。本当はそうやってこれは自分じゃないと否定するのは、自分の中でそんな醜い心を持った人間が自分じゃないかという不安を抱えているから。世界を二つに分ける人ほど、自分は醜い人間ではないかという劣等感を抱えている人。この劣等感を直さない限り、自分の悪を許すことはできないのではないかと思いました。

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