光雲無碍如虚空

光雲無碍如虚空 一切の有碍にさわりなし 光沢かふらぬものぞなき 難思議を帰命せよ
雲が大地を覆い光が届かないように妨げたとしても、光はまるでそこに何もない(虚空)ように、雲を貫き、その先を照らし出してくれる。ちょうどそのように私たちがどんなに真実を認めたくなくて煩悩を起こして現実を誤魔化した(有碍)としても、阿弥陀仏の光明は煩悩を貫き、私の心を照らし出して真実を明らかにして下さる。
真実が知らされ、これが本当の自分だと認めたならば、心に潤いが生まれ、今まで許せなかったことも許せるようになり、自ら悪かったと頭を下げることができる。これが光沢。
私たちがこの人は許せないと恨みや呪いを起こすのは、本当の自分が分からないから、我という理想の自分を作り出し、それが自分だとしがみついているから。でも、この理想の自分は真実ではないから、現実には理想の自分である我を否定するような結果がやってくる。この現実を受け止めてしまったならば、今まで信じてきた理想の自分が否定されるから、私たちは理想の自分を崩してくる現実を否定し、煩悩を起こして現実を見ないようにしてしまう。しかし、どこかで今信じている自分は真実ではないと知っているので、いつか我が崩されるのではないかと思って不安になり、その不安が心をカラカラに乾かしてゆく。だから、ちょっとのことで怒りが燃え上がり、他人を責めずにはおれなくなる。
でも、阿弥陀仏の無碍の光明のお力によって真実が知らされたならば、カラカラに渇いた心が潤いのある心に変わる。これが光沢をこうむるということ。そうしたならば、許せない相手も許せるようになり、自分が今まで相手を傷つけてきたことも悪かったと認めることができるようになり、自分の方から謝ることができるようになるのです。
それは私たちがとても想像することができる世界でないから、難思議と言われ、難思議の阿弥陀仏のお力に対し、心から頭を下げずにはおれなくなるのです。

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