二種深信

幸せになりたければ、まず相手の幸せを第一に考えて、相手の幸せを心から喜んであげることだということは頭では分かっていても、相手が自分のことを見てくれないと寂しくなって、相手に幸せになって欲しい所か、相手の幸せをぶち壊してやりたいと思ってしまう。これが人間。人間とは愛欲の塊。どんなに他人の幸せを念じてあげなさいと言われても、まず自分の愛欲が満たされていなければ、相手の幸せを考えてあげることもできない。
だから、他人の幸せを第一に考えれば、考えるほど、自分って愛欲の塊だなあということが知らされる。
だから、愛欲を無視して相手の幸せに向かうのではなくて、まず素直になって自分の愛欲を満たしてゆく。
それは自分は寂しいのだということを伝えて、自分のことを見てもらえるようにする。自分の感情をほったらかしにしないようにする。そうやって、自分の愛欲を満たしてゆくと、自分の心を大事にしてゆくように、相手の心も大事にしたいという心が起きる。
これが二種深信。
二種深信とは、自分の姿について深く知らされる機の深信と、愛欲しかない自分の心に慈悲が起きる法の深信。
この二つは深く関係しており、愛欲しかないと知らされて、自分の心を大事にするほど、自分も愛欲しかないように、相手も愛欲の塊なんだから、愛欲を満たしてあげなければならないと慈悲の心が起きるし、そうやって相手の愛欲を満たしてゆくと、自分は愛欲しかないんだなということが深く知らされる。
機の深信が法の深信を深め、法の深信が機の深信を深める。
そうやって、愛欲を満たしてゆくことで、やがて愛欲から離れ、慈悲の心だけとなり、私たちは人間を離れ、仏になることができるのです。

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