与えてもらいたいからこそ、まず与える

私たちは自分の心を見たならば、愛されたい一杯、認めてもらいたい一杯、声をかけられたい一杯しかない。
仏教では、これを愛欲と言い、親鸞聖人は私はこの愛欲が広い海のようにあり、その中で溺れていると言われている。
人間の行動の目的は愛欲を満たすこと以外にはない。だからこそ、自分も愛欲の塊であるように、相手も愛欲の塊。だから、自分が相手に対して望んでいることを相手にしてあげることが、仏教では大事だと教えられる。
私たちは心に寂しさを抱えている。私も声をかけてもらいたいからこそ、相手も声をかけてもらいたいのだと思って、声をかけてゆく。
自分が望んでいることが分かれば、相手が望んでいることも分かる。自分が相手に望むことを、相手にも与えてあげる。
それは自分が認めてもらいたいと思っているのだと気づいた人が、自分も認めてもらいたいと思っているように、相手も認めてもらいたいのだと気付く。
自分の気持ちに気づいた人が相手の気持ちにも気付く。相手の気持ちに気づくからこそ、自分も認めてもらいたいと思うように相手も認めてもらいたいのだなと思って、まず相手に与えてゆく。
そうすれば、回り回って自分も認めてもらえるようになる。自分が望んでいることを相手にしてあげる。相手に与えるからこそ、自分も与えられる。
みんな自分が与えてもらうことしか考えてないから、誰も与えてもらえず、寂しい思いをしなければならない。
与えてもらいたいからこそ、まず先に与える。与えるからこそ、与えてもらえるようになるのですね。

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