不安とは

他人は不安になるとその不安を何かで埋めようとする。食べることで埋めようとする人もいれば、欲を満たすことで埋める人もいる。でも、それらのものは不安を誤魔化して見えなくさせただけで、不安そのものが無くなった訳ではない。不安は吐き出すことによって心は楽になる。不安を吐き出すことなく、何時までも心に溜めておくと心は苦しくなる。不安とは何だろう。不安は未来に対して何か思い通りにならないことが起きると吹き上がる。その時、我にすがりついて、安心している人ほど、無常による不安は大きくなる。時は刻一刻と流れてゆく。その時の流れを見ようとはせず、まるで時が止まっているように感じさせるものが我。そうやって現実にはどんどん時が流れているのに、自分の中ではまるで時が止まっているように感じている。その現実と理想とのギャップが不安。だから、現実が見せつけられると不安になる。私たちは現実を見ない間は安心して生きておれる。では、ここで現実とは何であろうか。現実とは確実に一日一日と時が流れ、歳を取っているということ。そして、歳を取ったならば、もう過去へは戻ることはできないということ。そして、自分だけでなく、自分のまわりの人も刻一刻と変化しているということ。私たちには自分の思い通りに物事が進んで欲しいという我がある。でも、現実にはそれが思い通りにはならず、自分の思っても見なかった方向へと流れてゆくことがある。この時、心の底から吹き上がってくるものが不安。この不安とは何か。その本質は分からないが、無常がやってくるから不安が吹き上がるのではなく、すでに心の中に不安が溜まっているから無常がやってきた時に吹き上がるだけなんだろうと思う。この不安を受け取ると受け取った人も不安になる。この時、未来に対して何か不安なことがあるから不安になる訳ではない。不安な心を受け取ったから不安になるのである。現実を見ないで生きてきた人ほど歳を取ると不安になる。例えば、一生懸命お金を稼ぐ為に生きてきた人は、歳を取った時にお金を稼ぐだけの人生って何だったのだろうかと不安になる。この不安とは何だろうか。もう人生をやり直すことができないという不安なのだろうか。私たちは余りにも何も考えず毎日を過ごしている。多くの人は働くことに一日を費やしている。でも、そうやって何気なく毎日を過ごしている間に時はどんどんと過ぎ去ってしまう。そして、歳を取った時に人生を振り返って、自分の人生って何だったのかなと不安になる。若い頃は俺はこれをしているからと思っていた目の前にある確かなものは、歳を取ると跡形もなく消える。あとは何もない毎日が続き、やがて歳を取って死んでゆく。ただそれだけの人生に不安を感じるのです。この不安はどうしたらいいのか。私たちは幼い頃から様々なことに対して不安を感じるものです。この不安を自分の中で留めてゆくことが苦しいから、泣いたり、怒ったり、まわりの人に話すなどして外へ吐き出します。この時、まわりの人が吐き出した不安を温かく受け止めてくれた人は心は健全に育ってゆきます。それに対して、不安なことがあってもまわりの人が温かく受け止めてくれないと、その人は不安なことがあっても他人に吐き出そうとはせず、我慢するようになります。これによって段々と硬い鎧を身につけたように我が強くなり、自分の中に不安を溜めるようになります。この人が人生の中で何か無常にぶつかった時に不安が吹き上がる人です。このような人は普段は不安が吹き上がらないように欲に流れ、現実を誤魔化して生きています。そんな人も逃れることができないものが老いと病と死。この無常が襲ってきたときに、我が崩れ、抑えられなくなった不安が吹き上がります。そして、苦しむのです。

コメント

  1. ボンジュール より:

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    上田さん、こんにちは。
    幼稚な質問で、恥ずかしいのですが、恋人が他の異性と仲良くしていると起こる不安は何なんでしょうか?
    子供の頃にも同じような気持ちになったことがあります。
    遊びに夢中で母の方を振り返ったら、駆け寄ってきた他の子をやさしく受け入れる母親、またやさしく受け止められている子の姿を見て、このような気持ちを持ったことがあります。
    子どもの私は、自分に湧き上がった感情がなんなのかわからず、その場から走って他の場所に移動し、遊び始めました。
    これは欲に流れて見ないようにしたのかなと。
    未だにこの感情が何だったのか分からず、ふと思い出します。
    この気持ちが何なのか分からなかったため、言葉にできず、子供の頃は母親に話せませんでした。
    もし宜しければ、仏教の観点から教えて頂きたいです。

  2. ボンジュール より:

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    上田さん、こんにちは。
    幼稚な質問で、恥ずかしいのですが、恋人が他の異性と仲良くしていると起こる不安は何なんでしょうか?
    子供の頃にも同じような気持ちになったことがあります。
    遊びに夢中で母の方を振り返ったら、駆け寄ってきた他の子をやさしく受け入れる母親、またやさしく受け止められている子の姿を見て、このような気持ちを持ったことがあります。
    子どもの私は、自分に湧き上がった感情がなんなのかわからず、その場から走って他の場所に移動し、遊び始めました。これは欲に流れて見ないようにしたのかなと。
    未だにこの感情が何だったのか分からず、ふと思い出します。
    この気持ちが何なのか分からなかったため、言葉にできず、子供の頃は母親に話せませんでした。
    もし宜しければ、仏教の観点から教えて頂きたいです。

  3. SECRET: 0
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    それは執着というものです。人間というものは自分の好きな人には自分のものになって欲しいと思うものです。だから、自分のことだけを見て欲しいし、他の人のことを見ているとまるで自分の存在を無視されているように感じて不安になります。これは人間として当たり前の心なので、こういう心になるのも仕方ないと思います。

  4. ボンジュール より:

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    お忙しい中、お答えいただいてありがとうございます。
    この感情は、執着だったんですね。
    正体がわかって、諦めるというか、断ち切っていかなければならいものだということがはっきりわかりました。
    教えていただきありがとうございます。腐った頭で考えてはいけませんね。
    このことさえ思い通りになれば幸せなのにという気持ちがどうしても残ってしまい、諦めなきゃいけないのに諦められないという気持ちがありました。
    執着と教えていただいて、その先に幸せがないなら、幸せになるために前向きな気持ちで断ち切れそうです。
    執着を減らしていけばいいんだと分かり、先が見えてきました。
    思い通りにしたいという執着から離れない限りは、自分もですが、相手も幸せにできず苦しむことになるんですね。
    心当たりがありすぎて、身に沁みます(^^;)
    執着から離れて、自分も側にいてくれる人も苦しめない、もう一歩進んで一緒に幸せに生きれるようになりたいと思いました。
    執着についてのブログや説法を改めて聞き直させて頂きます。
    上田さん、ありがとうございます!

  5. SECRET: 0
    PASS: d9b1d7db4cd6e70935368a1efb10e377
    喜んで下さり、嬉しく思います。執着を断ち切る為には無常を明らかに見て、一つには使わないものは捨てる。そして、今自分にやってきたものを大事にしてゆくことが大切です。いつか別れがあるからこそ、今という時間だけでも大事にしてゆく。そういう心がけが執着を断ち切ってゆく為に大切なことです。

  6. ボンジュール より:

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    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    上田さん、こんにちは。
    アドバイスいただきありがとうございました。
    8月7日~8月9日の聴聞を聞かせて頂きました。
    上田さんが執着とおっしゃっていた意味がよく分かりました。
    論理的に説明して下さり、より理解できました。
    整理をするようになって捨てる苦しさ(モノを大切にできない自分、モノに悪いことしたなぁ)を考えると、ものを安易に買いたくない、ずっと使えるものをと最近思うようになっていました。
    大事にするものと循環させるものを区別することが必要なんですね。
    アドバイスを受けて迷っていたことを聴聞していた方との問答で、お聞きすることができて非常にためになる説法を聞かせて頂けました。
    8月9日の説法の「こんな醜い心しかない私は誰も大事には思ってくれない~みんな離れていくだろう」、
    まさに今私が悩んでいることでした。
    今は運よく側にいてくれる人がいるけれど、死などの無情によって離れてしまう、誰もいなくなってしまう、という不安があります。
    人を幸せにすることができたら人は離れていかないと教えて頂き、実践しようとしても、自分が!自分が!という気持ちがなくならない。この気持ちが無くなったらできるようになるのかなと考えていました。
    (「相手が自分の方を向いてくれないと寂しくなる」のブログ記事の考え方はとても参考になりました)
    昔は、見返りが帰ってくると信じられていたので、色々相手にできましたが(^^;)
    仏の道は遠く果てしないですが、これからも仏法をお聞かせ頂ければと思います。
    上田さん、ありがとうございました(^▽^)/

  7. SECRET: 0
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    喜んで頂き嬉しく思います。自分のことしか考えない心は人間だから、仕方ないものです。だからこそ、聴聞によって慈悲の心を頂かなければ、とてもこの世を幸せに生きてゆくことはできないと痛感しています。これからも仏の慈悲を受けながら仏法をお伝えしてゆきたいと思います。これからもよろしくお願いします。

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