一一のはなのなかよりは

一一のはなのなかよりは 三十六百千億の 仏身もひかりもひとしくて 相好金山のごとくなり
阿弥陀仏に救われたならば、仏になれる。これは何もせずに死ぬだけで極楽に往って仏になれる訳ではない。仏になるには、それだけの修行をしなければならない。修行とは、善を行うこと。その善が身につき、自分の徳となる所まで続けなければならない。それを聞くと、えっ、なんで阿弥陀仏に救われたのに、善をしなければならないの?と思う人もあるだろう。それは善をしたくないからである。この善をしたくないという心に智慧を与えて、苦しみから抜け出したいから、また、幸せになりたいから善をしたいという気持ちに変えてくれるのが阿弥陀仏のお力なのです。
私たちはなぜ善をしなければならないのかと言ったら、悪をすると責められるから。この責められるという気持ちがあると、善をするのも自分の心からやるのではなく、我慢してやっているので、不満が起きる。この不満が善をしたくないという心を起こすのです。しかし、仏は悪を責める心がない。だから、責められても、苦しくない。だから、善をするのは純粋に、善をしたら幸せになれるから。だから、善をする。この善をしたいという気持ちでやっているのが仏様。阿弥陀仏に救われたならば、説法を通して智慧を頂いていくので、善をしたいという気持ちに心が変わってゆく。だから、阿弥陀仏に救われた人たちは仏になることができるのです。
しかも、この善をしたいという気持ちに阿弥陀仏に救われた人はみんななってゆく。だから、阿弥陀仏に救われた人たちは共に同じ徳の光で輝いているのです。

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