ケチな人とは

こんにちは上田です。
いつも読んで頂きありがとうございます。
次に慳とは、ケチる心。お金だったら、少しでも増やしたい、減らしたくない、使いたくない。欲を満たす為ならいくらでも使えるが、他人の為には一円も使いたくないという心。
では、なぜこのようなケチな心になるのかと言いますと、他人に施しをする喜びを知らず、自分の思い通りになることが幸せだと思っているから。
例えば、子供ならオモチャをたくさん買って、友達を呼んで、好きなオモチャを自分が使って、使ってないオモチャを友達に渡して、遊ぼうとしているようなもの。
こうすれば、自分の好きな時に、好きなオモチャを使うことができるし、他人が使っているオモチャが欲しくなったら、自分のものなので、奪い取ってでも自分が使うことができる。
反対に他人のものだと気を遣わないといけない。使いたいと思っても、相手の許可を得ないと使うことができない。相手がいなければ待たなければならないし、勝手に使うこともできない。それは窮屈だから、全部自分のものにしておきたい。
また、お母さんなら自分の我のついている家に子供も住んで欲しいし、結婚したらお嫁さんも住んで欲しい。そして、すべてが自分の我のついた思い通りになる環境で、一緒に暮らしたいと思っている。
これがケチな心。
しかし、実際は自分が思い通りになる環境には他人は入っては来ない。何故なら自分は楽だが、相手は窮屈だから。いつも気を遣わないといけない。
そんな所にはいたくない。子供ならオモチャを一杯買って、友達と一緒に遊ぼうとすると、最初は友達も遊びに来る。しかし、気に食わないことがあって、「これは僕のオモチャだから、使わせない。」というと確かに自分の思い通りになるが、同時にその友達は離れてゆく。
やがて、こんな窮屈な気を遣わないといけない所なんて行きたくないと遊びに来なくなる。
また、お母さんなら自分の家で息子夫婦と暮らしたいと思っているが、実際は息子夫婦は外で暮らして、同居することはしない。
何故なら、お母さんの我のついた家なんて、何にも勝手に触ることも出来ないし、動かすことも出来ない。そんな所に暮らすなんて、まるで牢獄にいるようなもの。
それは、お母さんは楽でいいかも知れないが、私は窮屈で苦しい。だから、同居しても、すぐに出て行ってしまう。
確かにすべてを自分のものにしたら楽だが、そんな所に誰も行きたくないので、孤独になってゆく。
ケチとはすべてを自分の思い通りにしたいという心。しかし、それは自分を孤独な独裁者にしてゆく。
私たちは他人と一緒に過ごすから楽しい。たとえすべてが思い通りになったとしても、独りぼっちならつまらないのです。
ケチな人とはいつも仲間外れにされて悲しい思いをしている。みんな楽しそうにしている中、一人寂しく遊んでいる。そして、心の中には、「私はこんなに寂しい思いをしているのに、声をかけずに楽しそうに遊べるなんて酷い。」とみんなを心で責めている。
また、他人が何か新しいものを持って、友達と楽しそうに遊んでいる姿を見ると、その友達の持っているものが欲しくなる。何故なら、それを手に入れたら、自分にも他人が集まってきて楽しく遊べると思っているから。
でも、親に頼んで友達の持っているものを買ってもらっても、友達は集まって来ない。何故なら、どんなに面白いオモチャを持っていても、その子がケチならば、人は集まって来ないからである。
よくコマーシャルでクーラーや車で家族が楽しそうに過ごす映像が流れているので、家族と楽しく過ごしたいと思って、買ってみるが、クーラーや車はやって来るが、家族は集まって来ない。
それは、その人が何でも自分の思い通りにしたいというケチな心を持っているから。
では、どうしたらこのケチな心が無くなるのかと言いますと、思い通りにならない時に、少し待つことができればいい。
ケチな心とは、自分の好きな時に好きなものが使いたい、他人に縛られず自由に動きたいという心。
だから、思い通りにならない時に待ちたくないから、何時でも好きな時に、好きなように振る舞いたいから、全部自分のものにしようとする。
だから、ケチな心を無くすには、反対のことをしてゆけばいい。思い通りにならないことがあっても待つ。
そして、無理やり我を通して思い通りにしようとするのではなく、どうしたら思いが通せるのか考える。
それがケチな心を無くしてゆく方法。
多くの場合、ケチな人ほど我慢ばかりしている。それは自分の思いを通すことは悪いことだと思っているから、みんなの前では自分の思いを言うことなく、一方的に相手に合わせる。
だから、その反動で自分の家に戻ったら、思い通りに振る舞いたいと思ってしまう。他人と一緒にいる時に、気を使って自分の思いを伝えることがないから、疲れると一人になろうとする。そして、いつの間にか楽になりたくてすべてを自分のものにしてゆくのです。
ケチな人にとって、それが自分のものか、他人のものかということは全然違う。自分のものなら何時でも自分の好きな時に思い通り使うことができるが、他人のものになると相手に気を使わなければ使うことができない。
つまり、他人とどうしたら普通に接することができるか、例えば、自分の気持ちを伝えたり、自分の思いを通したり、我慢することなく相手に合わせたりすることが出来ないから、他人と一緒にいる時は嫌われたくないから、一方的に相手の我に合わせてしまい、苦しいから、楽になりたくて自分の思い通りになる世界に閉じ籠ろうとする。
だから、このような人は他人の中で我慢し過ぎて苦しくなることなく、適度に相手に合わせたり、自分の思いを伝えてゆく訓練をしてゆかなければならない。
そうすることによって、ケチな心は弱くなり、気持ちよく他人に施しをしてゆくことができるのです。

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