なぜ妬むのか?

こんにちは上田です。
いつも読んで頂きありがとうございます。
嫉とは、妬みや嫉み、嫉妬の心です。
自分よりも能力や才能、財産などで優れている人を見て、羨ましく思ったり、その人の足を引っ張って引きずり落としたいと思う心です。
では、なぜこのような妬みの心が起きるのかと言いますと、思い通りにならない現実に対して自分がコツコツと努力して、その問題を解決しようと思わず、いつも如何に楽に、如何に時間をかけずに解決できるかばかり考えているからです。
その為に思い通りに物事が進んでいる人やみんなからチヤホヤされている人を見ると、いいなあと思ったり、あの人ばかり狡いと引きずり落ろしたくなるのです。
このような人は自分は動かず、他人の良いところばかり見て、いい思いができるかということばかり考えているので、自分が妬みを起こしている相手がどのような思いをして、今のような結果を得たのか、また、その人がみんなから認められている裏でどんな苦労をしているか知りません。だから、どんな幸せだってどこかに簡単に時間をかけずに得られる方法があるのではないかと探してしまうのです。
そして、ちょっと頑張って思い通りにならないと、すぐにやる気を無くして、自分は何をやっても駄目だ、死にたいと言い出して、自分を人質に誰かが何とかしてくれないかなと考えるのです。
つまり、妬みとは自分は動かずに他人の幸せが自分のものにならないか、また、他人が自分の思い通りに動いてくれないかと考えることです。
だから、そんなに他人の幸せを妬むなら、自分もその人と同じような幸せが得られるように努力したらいいのにと思うのですが、その人は他人の幸せを見ながら、いいなあと妬むだけで、自分が動くことはしません。
では、なぜ動きたくないのか?
それは、今まで権力に支配されて、誰かの言いなりになって動かされていたからです。そして、自分を支配していた権力者とは多くの場合、親です。
親が子育てをする時、子供に対して、「親だから言うことを聞きなさい」と権力を振りかざし、子供を自分の思い通りに動かして育てると、子供は努力をしなくても、権力さえ手に入ったら、自分の思い通りに振る舞うことができると思ってしまいます。
しかも、子供から見て、その親は決して何か徳があって、上の立場に立っているのではなく、何にも能力や才能がある訳でもないのに、ただ親と言うだけで、子供を支配して自分は動かず、思い通りに動かしている。
そんな親の姿を見て、自分も力を手に入れたら、あのように自分は動かずに、他人を思い通りに動かすことができると思ってしまうのです。
だから、その人にとって目標は自分を思い通りに支配して動かしていた親と同じように他人を支配して思い通りに動かす人間になることです。
そして、実際に努力もせずに、自分を思い通りに動かしてきた親の存在を見てきているので、何かを手に入れるのに、どこかに頑張ることなく、すぐに手に入る方法があると思って探してしまうのです。
では、どうしたら、このような人が自ら動きだし、妬みの心が無くなるのでしょうか?
その為には、その人は本当は何をしたいのか知らなければなりません。
では、他人の幸せを妬んで、その人の持っているものを手に入れて何がしたいのでしょうか?
それはそういうものを手に入れたら、他人は自分のそばに集まってきてくれて、思い通りに他人を動かして、思いっきり甘えられると思っているからです。
つまり、この人がしたいことはただ甘えたいだけなのです。
そして、他人から認めてもらえるような徳や権力を手に入れたならば、自分の思い通りに他人を動かし、甘えることができると思っているのです。
だから、妬みの心を無くすには、その人が心から甘えることができるような存在が必要です。しかも、その人が権力があるから、才能があるから、お金があるから従っているのではなく、心から相手のことを大事にしたいという気持ちから甘えさせてくれるような人でなければなりません。
このような人と出会い、その人に心を支えてもらうことによって段々と妬みから離れ、自分も価値ある人間になりたいと思って、動き始めるようになるのです。

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