どちらが悪いと言っても仕方ない

人は何が苦しみなんだろう。よく目の前で楽しそうにしている姿を見ると苦しいという人がいる。これは別に相手は自分に対して危害を加えている訳ではない。それでも相手が楽しそうにしている姿が苦しい。これはなぜ苦しいのだろうか。それは相手を通して自分が見えるから、自分が楽しんでいる時は無意識のうちにそこに入ろうとしている人を排除して自分たちだけで楽しもうとしているから、今度は誰かが楽しんでいる時は自分が排除されているように感じる。そこでこれは相手の姿を通して自分が見えているのだと気づけば、他人を恨むのではなく、自分が排除しないようにすればいいと思える。でも、人間というのはどうしても相手が悪いとしか思えないもの。悪いというのは、自分の傷ついた感情を受け止めてくれるのは悪いことをした相手だと思うこと。だから、相手が謝ってきて、自分の感情を受け止めてくれなければ、決して相手を許すことなんてできない。そうやって、相手を許さないと言って、意地になりながら、結局は孤独になってゆく。どちらが悪いと話をするよりも自分の心が傷ついているのだから、まず自分の心を癒やすことが大事。傷ついた相手が私の心を癒やしてくれることはない。それよりも自分の気持ちを分かってくれる人に自分の心を語ってゆく。それが大切なことなんだと思いました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました