阿頼耶識

阿頼耶識とは業種子を入れる器。それは業種子が集まった集合体こそ阿頼耶識。では、阿頼耶識の中には何が収まっているのか。それは自分というものが収まっている。私たちは自分に執着している。じゃあ、自分とは何か。自分とは他人から自分というものはどのように見られているか。それが自分。他人から無視されているものが自分ならば、他人から無視されるような環境を作るし、他人から大事にされた人は他人から大事にされるような環境を生み出してゆく。自分が育ってきた環境を無意識のうちに作り出そうとするし、そこにふるさとを感じる。だから、自分の一生というのは自分がどのような環境で育ってきたかで決まる。温かい環境で育ってきた人は温かい環境を自然と生み出してゆくし、冷たい環境で育ってきた人は冷たい環境を生み出してゆく。自分が育ってきた環境こそ、大人になってから自分が生み出してゆく環境。私たちは自分は何者か分からないからこそ、自分が見てきたもの、他人からどう扱われてきたかということに執着して、それを業種子として自分の中に取り込み、自分の中にあるものと同じ世界を生み出してゆく。だから、その人の部屋を見れば、その人はどんな業を持っているか分かるし、その人がまわりの人とどんな人間関係を作っているかを見れば、その人の業が分かる。

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