次に放逸とは、因果の道理を無視して、自分の好きなように行動することです。規則や道徳に反発して、縛られることなく自由に振る舞いたいと思う心です。
では、何故このような心になってしまったのかと言いますと、その人が幼少の時、親から正義を押し付けられて、自分の思い通りに振る舞うこともできず、縛られて育ったからです。しかも、その親自身、自分は子供にこれはしてはならない、あれはしてはならないと命令しておきながら、自分は言ったことを守らない。
たから、子供から見たならば、親はズルい、俺にはあれはしてならないと約束事を決めておきながら、自分は親だからと言ってやっている。俺も権力者になったら、あの親のように何者にも縛られることなく、自由に振る舞うことができるんだと思う。それが大きくなって、力を持って、自分が力を持ち、誰も自分を縛る人がいなくなった時に、心の奥底からムクムクと吹き上がってくる心が放逸の心です。
このような人はどんな人も逆らうことが出来ない真理があるなんて知りません。だから、力さえ持ったならば、どんなこともできると思っています。
その為に、自分の思い通りに振る舞う為なら、どんなにまわりの人を傷つけても平気だし、たとえ迷惑をかけても欲を満たそうとするのです。
そして、その報いによって、自分にとって都合の悪い状況に追い込まれたとしても、自分が悪かったと反省することはせず、正しいことをする人にはいつも疑謗破滅の嵐が起きるものなんだと、ますますまわりを否定し、自分の我を通してゆく。そして、自分の思い通りにならない相手を悪と決めつけ、悪に対して怒りを起こすことは良いことなんだと自分を正当化し、相手を責めて、どこどこまでも思いを通してゆく。他人が欲に流れるのは非難するのに、自分が欲に流れていても心で言い訳して自分を正当化し、このようにすることは正しいことなんだと思い込もうとする。
だから、いつも自分のやっていることは正しいことであり、その正義に従わないものは、悪であり、その間違いを正す為ならば、どんなに相手が傷ついたとしても、何とも思わない。それで報いが来て、苦しんだとしても、この苦しみを乗り越えて、正義を貫けば、必ず幸せになれると信じて疑わない。
そんな因果の道理も、自分にやって来る現実も無視して、自分の思いを通してゆく心が放逸です。
コメント
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人に抑えつけられて育ってきた、というのは誰かに指摘されなければなかなか気づけないことのように思いました。放逸に染まっていて、がちがちに力を信奉する自分がいる気がします。
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力は確かに思い通りになりますが、人の心だけは自由にすることはできません。
権力者ほど孤独なものはいません。