自分が正しいと思い込む

こんにちは上田です。
先日、本を読んでいたときに、そうだなって思うところが
ありました。難しい内容ですが、紹介します。
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<見取見>は、自分の考え方、自分の見方を絶対視し固執する作用
である。
存在の真相を知らぬくせに、自分の見方や考え方を絶対視する
<こころ>の作用が<見取見>だ。『論』は「一切の闘諍(あらそい)のよりどころになる」と述べている。
自分の考えは絶対に正しいと思って、一歩も譲らない、もし人がお互いにそんなことばかり言い合っていれば闘争は絶えない。
しかも、その自分たるや、末那識=自己中心的なものの見方しか
できない自分なのだから、それぞれ勝手に自分の言いたい放題の
ことを言いあっていることになる。
人皆心あり。心各(おのおの)執(と)れること有り。彼是すれば我は非ず、我是すれば彼は非ず。
聖徳太子の『十七条憲法』の十条だが、相手が是認すると我は否認する、我が是とすると彼が非とするのは<見取見>だろう。それをしている限り、争いはいつまでたっても絶えない。
ではいかにすべきか。『憲法』はさらに続ける。
われ必ずしも聖に非ず。かれ必ずしも愚にあらず。
共にこれ凡夫のみ。
(わたしは必ずしも立派な聖人でもなければ、相手も必ずしも愚か者ではない)
是非の理、誰かよく定むべき。…
(だから、言い争っていることがどちらが正しいか。誰が決めれるというのだろうか)
ここを以って、かの人怒るといえども、還ってわがあやまちを恐れ、
(ここをもって、相手が怒ったときには、自分に何か間違いがあったかも知れないと恐れ)
われ独り得といえども、衆に従いて同じくおこなえ
(自分が独り利益が得られるとしても、皆さんと同じように行いなさい)
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