敵味方で物事を判断する

世の中には敵味方で物事を判断する人がいる。例えば、誰かを敵だと思う。そうすると、自分が敵だと思う人と仲良くしている人がいたら、あなたの付き合っている人が如何に価値のない人間であるかを教えて、その人の間柄を割こうとする。つまり、相手にこんな奴と付き合うのはやめて、自分と付き合って欲しいと思う。
でも、相手がこんな奴の味方になって離れようとはせず、自分と同じように敵として見てくれないと、その相手に対しても自分の味方になってくれないのならと、その相手を見捨てて一人になろうとする。
‘’なんで自分が敵だと思う人と仲良くしてはならないのだろうか?‘’
それは自分が敵だと思っている人のことを一緒になって敵だと思ってくれないと、まるで自分の考えが否定されているような、また、自分の存在を否定されているように感じてしまうからだ。
その人は心の中では、自分はこの世に存在してはならない人間ではないかと思っている。でも、それをまともに受け入れてしまうと生きることそれ自体が苦しくて死にたくなる。
だから、自分よりも悪い奴を探して、あいつの方が私よりもずっと悪い人間だから、あいつの方こそ否定されるべき人間ではないかとその人を否定し心の中で八つ裂きにしてしまうのです。
そうやって正しい所に自分を置き、自分は正しいから生きていてもいいんだと思おうとする。ところが、自分よりも悪い奴がみんなからひどい目に遭って苦しんでいるなら納得できるのに、自分よりも悪いくせにのうのうと生きている。それどころか、まわりから認められているとなると、もう許せない。なんでこいつが苦しんでいないのだと、その人を心の中で激しく責め、この人こそ苦しむべきだと思って、まわりからその人が孤立するようにその人の味方になっている人も責める。そうやって、自分は正しいのだと思い込もうとする。
でも、まわりの人は自分が否定したからと言って、その人のことを悪い奴だと見てくれる訳ではない。
そうなると、自分がこの人のことを悪く見るのが悪いみたいではないかと感じて、自分は正しい、自分は間違っていないと我を押し通す為に、自分の味方になってその人のことを悪く見てくれる人以外、人間関係を断ち切って一人になろうとするのである。
この人は自分で自分の存在が許せないのである。自分の思い描いているような自分になっていない現在の自分をこれも自業自得だと認めたくはないのです。
だから、こうなったのは、みんなあいつが悪いと他人のせいにすることで、自分の考えは正しかったという所に立とうとしているのです。
でも、どんなに俺は正しい、あいつのせいだと他人を恨んだ所で、現実の自分が何か変わる訳ではない。
誰よりも自分のことを自分が見捨てている為に現実を変えようと努力することなく、理想の自分とかけ離れた現実を生きなければならず苦しみ続けることになるのです。
結局、この人は他人を見下す為に理想の自分を置き、他人の上に立つことで安心しようとしているのです。
だから、頑張っている筈なのに、理想の自分と違うと見下されているように感じて、現実の自分を見たくないのです。
それをすべて自分が悪い訳ではない他人のせいだとすることで、かろうじて自尊心を保っているのです。
では、このような人はどうしたらこの苦しみから抜け出すことができるのか?
それはこの人のそばに寄り添って、どんなにこの人が間違った考えを持っていたとしても、否定することなく味方になってくれる人が必要です。
普通はそんな人はいませんが、もしそんな人がいたならば、この人がいつもその人のことを味方になってくれることによって、その人は自分は生きていてもいいんだと思えるようになって、現実の自分を受け入れることができるようになるのです。
結局、苦しんでいる人ほど一人になろうとするし、また、一人では助からない。悲しい真実です。

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