こんにちは上田です。
こういうことって嫌だなと思うことですが、
私たちって、とかく相手を敵か味方かで分けようとして
いるように感じることがあります。
たとえば、
自分の意見に賛成してくれる人は味方。
自分の意見に反対する人は敵
自分のやり方に素直に従ってくれる人は味方。
反対する人は敵、などなど
そうやって自分のまわりに味方を増やそうとしている。
私にもこういう傾向が強いですが、
でもこれって、結局は自分のことを本当に思ってくれる人が
いなくなってしまうことになってしまうんじゃないかなと思って
しまいます。
だって、まわり中がイエスマンになってしまうでしょ。
イエスマンに囲まれると気持ちいいけど、最後には
だめになってしまうように思います。
反対に、嫌だと思われるだろうなと感じながら、それでも
自分の間違いを教えてくれる人って、
本当に自分のことを思ってくれている人なんだと思います。
せっかく親切に教えてくれているのに、
私はどうしても、素直に喜べない。嫌な性格です。
すみません。ぶすっとしてしまいますが、感謝しております。
そういう人を大事にしてゆきたいです。
くつしたとおりがみ
コメント
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たぶん誰にでもありますよね・・
でも・・・・・叱ってくれる、意見をいってくれる人が・・・本当は・・・自分のことをよく見ていてくれる
本当に心配してくれる・・・・そういう人なんですよね・・・・
いつもコメントありがとうございます^^v
また・・・・・毎日来ますのでよろしくお願いします!
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当然、イエスマンと友人とは異なるものであり、同一人物ではありえないの
ですが、それの分別は難しいように思います。
かの孔子先生は、有名な四十而不惑のあとに「六十にして耳順がう」と言い、
人の忠言が素直に聞けるようになれたのは六十になってからだと告白して
おられます。
つまりそれまでは、友人の心よりの言葉を疎ましく感じ、媚びへつらい盗って
逃げようと企む者を友を思うような場面も度々だったということでしょう。
友人の判断基準は、自分の味方か敵か?ではなくて、信用に足るか否か?
ではないかと思います。なぜなら友人とは、そこに背中を向けることの出来る
人であり、目の前にいる味方が、自分の背を預けた時も変わらず味方でいる
とは限らないからです。
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そうやって、自分の周りにイエスマンを置く人って多いですよね[絵文字:e-330]
私も、昔そのタイプでした[絵文字:e-330]
でも、ある時ホントに仲良くしてた方から言われて、気付いてからは、ちゃんと人の意見も聞くようにしてます☆
今では自分で苦言を発する事もしばしば...
おかげで、ブログ荒らしと間違われた事がつい最近ありましたけどね...[絵文字:e-263]
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現在夜勤明けです。JUNだったんですが、同じ名前の方がいたのでひらがなにしました。
”敵か味方かですよね”若いときは単純に見分けていました。自分がある時、知らない土地や環境が変わったときに、はじめて敵だったか味方だったかが実感することがありました。それが友人だったとか、また先輩だったりだとか・・・実際、若く経験が無い時は周りが見えないものですから、やさしい人だけ好きになります。色々と経験を積み多方面から物事をみることができた時、本当の意味で”敵か味方か”がわかるような気がします。
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ご訪問、ありがとうございました。
また、おじゃまさせていただきますね。
~貴方にも 幸運の四つ葉が舞い降りますように~