我を拡大する人生は苦しみを生み出すだけ

人は何のために生きているかと言えば、我を拡大する為に生きている。我の拡大とは、何かに我をつけてそれを自分のものにすること。そして、自分の人生を振り返ったとき、私はこれを手に入れたから自分の人生良かったのだと思おうとする。だから、歳を取れば取るほど、自分の手に入れたものに執着するし、何もないと自分の人生は何だったのかと思ってしまう。
でも、そうやって生きている間に手に入れたものも、死んでゆくときには、すべて置いてゆかなければならない。それどころか、自分がそういうものを手に入れたことさえも忘れてしまう。後に残るものは執着だけ。この執着とは、強ければ強いほど、失った時に苦しまなければならない。しかも、死んでゆく時は持っていたことを忘れるのに、執着だけは残る。執着とは、自分が手に入れたものの上に乗って、これが自分だ、これが自分の人生だと思って安心すること。それが崩れるとは、足元が崩れるようなもの。気持ちとしては奈落の底へと落ちてゆくようなもの。そこで必死になって何かにすがっても、何もすがるものはないから、宙をつかむように、つかんだまま落ちてゆく。落ちた先は真っ暗な世界。自分は何者かも分からない。明かりのない世界。これが我を拡大したものの人生。自分は我ではない、ということを知らない限り、私たちは何回生まれ変わっても同じ過ちを繰り返してゆくのです。

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