慚愧とは人間の心。自分の存在を価値のあるものと思える心であり、価値があると思えるからこそ、いつも人間らしく生きてゆきたいと思う。その為、人間として外れた行いをすることを恥ずかしいと思う。この恥ずかしいという思いは、今まで傷つかないように大事にしてきた宝物を不注意で傷つけてしまったような思いであり、また、自分が心から憧れている人がいて、いつもその人を見習って生きてきたのに、不注意で、失敗をしてしまい、その失敗を憧れている人が聞いたならば、どう思うかと思うと恥ずかしいと思う心です。しかし、この恥ずかしいという思いは、いつも人の道から逸れないように生きてきた人でなければ分からない境地であり、普通の人が慚愧とは恥ずかしいと思う心だと聞いても分からない。多くの人は恥ずかしいと聞くと、自分の常識を相手に押し付ける時に、「こんなことをしていて恥ずかしくないのか」というように使い、他人から白い目で見られないようにすることを恥ずかしくない言動を取ると使っている。だから、一般的に言う恥ずかしいと慚愧でいう恥じる心とは全く意味の違うものであることを気をつけておかなければならない。慚愧とはあくまでも誰から責められることなく、自分の中で人間として、このように生きてゆきたいと思う心であり、それに反することをしてしまった時に、誰からも責められることなく、人間として恥ずかしいと思う心のこと。これが慚愧なのです。
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