小乗善

法施とは何か。法施とは仏法の教えを説くこと。仏法の教えとは何か。仏法の教えとは真理。真理とは何か。私たちの魂は堅いものではなく、とても柔らかいもので変化しやすいもの。それを変わらない魂まで成長させること。これが小乗善。小乗善とは魂を一定に保つこと。私たちは自分とは何者か分からない世界から生まれてきた。だから、一人では自分は何者か分からない。そこで他人から見てもらうことによって、自分の存在を認識してもらうようになった。ここで他人から見てもらうとは自分の肉体であり、自分の名前。自分のやったこと。私たちはそういうものに対して、これは自分なんだと固定化させて、もう変わらないものだと思って自分を定義しようとしている。そうやって自分の存在を見てもらうと安心するが、見てもらえないと不安になって自分のものを増やそうとする。それは財産かも知れないし、コレクションのものかも知れない。結局、そうやって色々なものに我をつけて自分の存在を認識してもらおうとしている。しかし、こうやって我を拡大すればするほど、その分だけ阿頼耶識が大きくなり、大きくなった分だけ自分を見てもらわないと不安になる。しかも、我を拡大する傾向にある人は死んでも、その習慣が抜けず、我を拡大してしまう。その結果。拡大した阿頼耶識は脆くなり、簡単に崩れて消えてしまう。だから、我を拡大させないこと。それが大事。つまり、我を拡大させない為には自分の持ち物を一定にする。一定にするとは自分の持ち物を使うものと使わないものに分けて、使わないものを捨てる。捨てることによってどうなるか。物を増やして我をつけてゆく楽しみか消える。私たちは物が増えてゆくことが楽しみ。パソコンでも一つあったらそれで十分なのに二つも三つも持とうとする。同じものを安いからと言って二つも三つも買ってくる。するとどうなるか。私たちの肉体には阿頼耶識が収まっている。この阿頼耶識とは常に新しい業種子を入れて古い業種子を吐き出している。そして、自分の中にあった業種子は元々自分の中にあったものだから、それを捨てることは自分を捨てることのように思って、捨てることができず、取っておこうとする。つまり、物が捨てられない人というのは、時間が経つ毎に物が増えてゆく人でもある。

コメント

タイトルとURLをコピーしました