因果の道理を受け入れてゆく

他人を否定する心を反省して、他人を否定する心から離れてゆくことよりも、他人を否定して、正しい所に自分が立つ事の方が楽なこと。だから、簡単に楽な方へと流れてゆく。どんなに否定したら、後で自分が苦しまなければならないと分かっていても、否定した方が楽にその場は楽に安心できるので簡単に否定してしまう。

否定するというのは、自分は正しい所に立つということ。どんなことであっても、自分は”白になっている行為はすべて否定しているということ。

否定しないで安心しようとするのが難しい。それは因果の道理を深信しないといけないから。それはまず否定されるという不安を受け入れないといけない。

ここで受け入れるということは、否定されるということは仕方ないなと思うこと。それは自分が否定していたから、否定された分だけ、否定してきたんだと受け止めたので、

仕方なや 蒔いた種なら 生えるもの

自分にやってきた結果はすべて自分の蒔いた種まきの結果。自分の蒔いた種まきが自分に返ってくるだけ。でも、受けた結果を思うと、そんな恐ろしい種は蒔いてはいない。そんな恐ろしい種を蒔いているならば、地獄の苦しみがすでにやってきているはず。それがやってきていないということは、そんな恐ろしい種なんて蒔いてないということ。

じゃあ、私は他人を苦しめるような種を蒔いてきたとする。この場合、その報いはどうなるのか。それは苦しめるような種を蒔いた分だけ。自分も苦しむ。ここで苦しみとは何か。苦しみとは不安。だから、他人を苦しめた分だけ、自分の不安も大きくなる。そして、不安が大きくなった分だけ、善人にとらわれるようになる。善人にとらわれる心が強い人ほど、白黒ハッキリさせたいという心が強くなる。白黒ハッキリさせたいという心から離れてゆくことが中道ということ。

苦しみとは、思い通りにならない時に返ってくる。その時、自分に返ってくることはすべて自分の蒔いた種まきなんだと思って仕方ないなと思って受け入れてゆく。やっぱり私たちは自分に返ってくる結果というのは、すべて自分の蒔いた種まき。因果応報。そんな恐ろしい種まきもしていない。ただ罪悪を犯した分だけ、善人にとらわれるようになる。それは不安だから。これだけはよく知らなければならない。

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