ここでなぜ自信が得られることによって心が楽になるのかと言えば、それは私たちは自信を失うとまわりの人たちが自分のことを責めてくるようい感じるから。私たちは欲に流れてダラダラ過ごしている人を見ると自分の中の正義がこの人を正さなくてはならないと思って責めてしまう。正義とは、正しいものは間違っている人を責めて、正すことができるという思想。なぜ私たちは正しい所に立って、間違っている人を責めたいのか。それは責めるとできる所に立つことができるから。私たちはいつも自分を正しい所に立たせたいと思っている。それはできる所に立つと安心だから。だから、反対に欲に流れていることが何か自分の中で悪いことをしているように感じて、自分がまわりの人を責めているように、自分も責められるのではないかと思って不安になる。そこで責められたくないから、自分は始めからこんな駄目な人間なんだとふてくされるようになってしまう。これは、責めるというのは、これは間違っているから正しなさいということ。そして、間違いだと認めて、正したものはもう二度とやってはいけない。やるとまた責められる。今度はあの時、言ったことは何だったのですかと追求される。これが責めるということ。だから、責める人ほど、責められることが嫌だから、反発する。それは自分の中でまた同じことをしてしまうと思っているから。だから、素直にはなれない。それどころか、ふてくされて、自分はこんな人間だから、どんなに責めても変わらないとアピールをする。
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