人は苦しい時、その苦しみの原因を他人に求めて、この人がこんなことをしなければ、私はこんなにも苦しむことはなかったと思う。
まるで自分が苦しんでいるのは他人が悪いからだと思っている。
確かに、苦しんでいる人から見れば、この人がこんなことをしなければ、苦しまなくても良かったと思うのは仕方のないこと。
でも、このように思っている人は自分の心が苦しい時は思い通りにならない相手に対して恨みを起こし、ひたすら嫌なことが過ぎ去るまで我慢するばかり、いつまでも自分の苦しみを自分ではどうすることもできず、苦しみ続けなければならない。
しかし、苦しみとは、他人によって生み出されるのではなく、自分の心によって生み出されると教えられる。
それは確かに思い通りにならない現実は、他人が原因かも知れない。
でも、同じ現実を見ても、それを苦しみと取る人もいれば、何でもないこととして見る人もいる。
つまり、苦しみと感じるかどうかは、その人の心次第。
そういう意味で、苦しみは目の前の現象によって生み出されるものではなく、自分の心によって生み出される。
だから、仏教では、何でこの人は、こんなことをするのかと思うのではなく、なぜ自分はこのようなことを目の前にすると苦しむのかと考える。
苦しみの原因が他人にあるならば、他人が嫌なことをする度に苦しまなければならないし、その苦しみを自分で何とかすることはできないが、苦しみは自分の心によって生み出されていると思ったならば、自分の心を変えることで、苦しみを自分の心からなくすことができる。
苦しみは自分が生み出すと思っている人の方が苦しみに対して心軽く向き合うことができる。
いつも自分の心に原因を求めた方が、結果的に苦しまずに生きてゆけるのですね。
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