執着というのは、使わないものに溜まる。でも、自分のものは整理できても、他人のものは整理できない。では、他人の執着が気になった時はどうしたらいいのか。
執着とは汚い心。汚いものを見て、これ汚いから綺麗にしたいという心が、執着を見て気になる心。汚いものを見て綺麗にしたい心はいい心のように思うが、その心がけが間違っていると、自分を苦しめる悪となる。では、どういうものが悪になるのか、相手を否定する心でやっているものは、たどんなに綺麗にしたいと思ってやったとしても悪となる。これは自分は綺麗な所に立っているから、相手の執着が気になる。つまり、自分は善人という所に立っている心が執着が気になる心。それは正しい所に立って、相手の間違いを否定する心でもある。でも、そうやって、どんなに自分が正しいからと言って、相手を否定すると、今度は自分が否定されるのではないかという不安が起きてくる。責めたら責められるし、否定したら否定される。見下したら見下されるし、見捨てたら見捨てられる。自分の蒔いた種まきが自分に跳ね返ってくる。これが因果応報の真実。
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