チリを払わんとは、チリと言ったらホコリのこと。そのホコリを取り除くことかチリを払わんです。じゃあ、仏教は実践が大事だからと言うことで、ホコリを取り除いてゆくと、段々、ホコリとはいつも使わないところに溜まっているものだと知らされてゆきます。そして、いつも使っているものにはホコリが溜まらない。だから、このチリを払わんとは、ホコリが溜まっている所を掃除をするという意味ではなくて、ホコリが溜まらないように、使わないものは使うことであり、それでも使わないものは捨てるということだと言うことが知らされてゆきます。つまり、チリを払わんとは、ホコリが溜まらないように、自分の持ち物はいつも使ってゆくことだと知らされてゆきます。これがまず浄命になる為の生活習慣です。そうやって、使わないものを使ってゆくと、次に知らされてゆくことは、ただ使っていても、それをちゃんと見てあげなければ、それは大事にしていることにはならないなと知らされてゆきます。そして、穢れとは日頃見てもらっていない所に溜まるものだということが知らされてゆきます。例えば、日頃人の中にいなくて、一人で過ごしていたならば、その自分の心に溜まってゆくものが穢れであるし、人と一緒に暮らしていても、人と一緒にいるよりも、一人で過ごした方が楽だと思って、一人で過ごしていると、その自分の心に溜まってゆくものが穢れであります。ここで、誰も見てもらうことなく、一人で過ごしていると溜まってゆく穢れを煩悩のチリと言い、煩悩のチリとは目に見えないものではあるが、この煩悩のチリが溜まると、心は穢れ、自分なんか誰からも必要とされない人間なんだと思うようになります。だからこそ、心を穢れさせない為に私たちは人と一緒になるべく暮らしてゆかなければなりませんし、そして、なるべく人が集まる所で過ごすように心がけなければなりません。ところが、心が穢れる人は人と一緒にいると気を遣う。だから、一人になった方が楽だと思って、一人になろうとします。しかし、そうやって、楽になろうとして、一人になると自分を感じられなくて心が穢れる。だから、その穢れを吐き出そうとして、他人の中に行き、愚痴を吐いたり、怒りを起こして相手を責める。だから、人と一緒の空間にいることが苦しくなって、余計、一人になる。そして、また一人だと自分を感じられないので、欲に走り、心が穢れる。このような悪循環を繰り返して、段々と穢れが自分の心にも、また環境にも溜まり苦しまなければならなくなるのです。だから、穢れない為には人と一緒にいても、苦しくならないようになること。それが大事であり、そうやって日頃人と一緒にいることが穢れから離れる為に大切な生活習慣なのです。
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