至心回向欲生と

至心回向欲生と 十方衆生を方便し 名号の真門ひらきてぞ 不果遂者と願じける
至心になりたいと善をしていた人が己の醜い心が知らされ、どんなに頑張っても、至心になることができないと知らされ、それでも、至心は本当に素晴らしいと念じてゆくと、至心回向欲生と、至心に向けて心が近づいてゆくようになる。不思議なもので、至心になれると自惚れていた時は、至心には近づかず、至心にはなれないと知らされた後は、至心に近づいてゆく。心というのは不思議なもの。でも、結局のところ、至心になれると思っていた時は念じていたものは、至心ではなく、まわりのできないと比べて自分はできると思っていたから、念じていたものは、まわりのできない人たち。それに対して、本当に自分はできないと知らされた後は念じているものは、至心。至心を念じれば、できるできないは関係なく、至心に近づいてゆく。これが至心回向欲生なのである。

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