聴聞に極まる

仏法は聴聞に極まる。

それは仏法を聞く立場の人よりも、仏法を説く立場の人の方がより人々の話を聞かなければならないと思います。

みんな自分の話を聞いてもらいたいと思っている。

自分の気持ちを受け止めてもらうことによって、心がすっきりする。私はこんな仕事をして思うことだが、自分の思い込みで人を判断することはできないなあと感じます。

小さい子でも自分なりの意見を持っている。だから、人の話を聞くときは、心して聞かなければならない。

心をさらにして、思い込みを捨てて、初事として聞く。

そうやって、聞くことで、新たな発見がある。この人はこういうことを思っていたんだ。

こんな風に思っていたら、そりゃあ、苦しむなあとなる。

みんな自分のことを分かってもらいたいと思っているし、みんな相手のことを誤解している。

それを埋めるには、よくよく相手の話を聞いてゆくこと。それが大事。

仏法は聴聞に極まる。たからこそ、よくよく相手の話を聞く。そこからしか相手のことは分かりませんね。

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