瞋恚の業

怒りはどうして起きるのか?
仏教では怒りのことを瞋恚(しんい)と言う。
瞋恚とは、善悪にとらわれている人が、こんなことをしてら、相手にとって迷惑じゃないか。こんなことをしたら相手は不愉快になるのじゃないかと思って、自分の心を責めて、押さえ込んだ人が、ひとたび、自分の常識に照らし合わせて、悪をしている人を見ると、今まで自分が感情を抑えてきた分、我慢できなくなって、相手を責めてしまうこと。これが瞋恚です。
この瞋恚は、何かのことで自分の感情を傷つけることが多い人ほど、ちょっとしたことで怒りを起こし、相手を責めます。
まるで責めることで、自分の中に溜まった感情を吐き出しているような怒りが瞋恚の特徴です。そして、心の中に感情が溜まるのはどうしてかと言えば、自分が悪いという思いです。怒りを起こす人ほど、自分の心の中に自分は悪いことをしているのではないかという思いがあり、日頃は、そんな悪い感情が表に出ないように気をつけている。それでも、人が嫌な顔をしたならば、自分が何か悪いことをしたのではないかと思って、自分の心を責めて、相手に気を遣う。だから、ちょっとまわりの人がいつもと違う行動をしただけで、自分は何か悪いことをしたのではないかと思って、自分を責めてしまう。そうやって、心の中に溜まっているものが瞋恚の恚。それが積もり積もって、相手に吐き出さずにはおれないものが瞋です。
この時、私たちは相手が悪くなければ、怒りを吐き出すことはできないので、自分の中で恚が溜まれば溜まるほど、他人のことが悪く見えてきます。
だから、自分に恚が溜まっているかどうか知りたければ、まわりの人が悪く見えるかどうかで、判断したらいいと思います。
いつもなら、何も思うことなく、見過ごすことができる相手の言動が今日は引っかかる。そういう時は、自分の心の中に恚が溜まっているのだと思って、その後、怒っても、相手が悪いから腹を立てたのではなく、自分の心の中に恚が溜まっていたからなんだと反省して、怒りを起こしてしまった相手には謝る。そうやって、瞋恚が起きても、自分の心に原因を求め、反省してゆくことが仏法を求めてゆく上で大切な心がけです。

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