畜生の業

最後に畜生の業とは、一度欲に駆られたならば、自分の欲に執着して、どんなにまわりの人が傷ついていたとしても、悲しい顔をしたとしても、何とも思わず、相手が苦しんでいることさえも気づかない心。
また、欲を満たす為ならば、どれだけまわりの人を食い物にしても平気な心。
人間ならば、自分の言動によって相手が傷ついたならば、自分の心も傷つき、苦しくなるが、畜生の心は、そんな人間らしい心を失った心。考えてみると、自分の欲を満たすことしか考えてない。相手のことなんて考えることはなく、いつも考えていることは、自分、自分。自分が如何に得するか、損をしないか。そんなことしか考えていない。これが畜生の心。
自分の欲を満たす為ならば、その為にどれだけまわりの人が犠牲になっても、当の本人は自分の欲を満たすことしか考えていないから、何とも思わない。それどころか、相手が自分の気持ちを分かって欲しいと訴えたとしても、自分を責めているようにしか感じなくて、自分の保身に走る。相手の心が分からない冷たい心。それが畜生の心。
私たちは、欲に取り付かれると、そんな自分のことしか考えない無慈悲な心になるのです。

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