復讐では自分も相手も幸せにはなれない

私たちは他人から酷い仕打ちを受けた時は、自分がされたことを相手にせずにはおれない。
その時の気持ちは自分はあなたからこんなことをされて苦しかったのだから、あなたも受けてみれば、自分がしたことがどれだけ酷いことか分かるでしょう、と気持ち。
まるで自分が仕返しすることは良いことのように思っている。
でも、仏教から言ったならば、相手からどんなに酷いことをされたとしても、それを相手に返すことは悪。
悪というのは、自分が苦しむ行為。だから、やってはならないと教えられる。
それは自分が相手からされた行為は、この行為によって自分が苦しんできた行為。
だから、それを相手にしたならば、それは相手を苦しませるような悪になる。
この悪を相手にすることは、自分と同じような犠牲者を増やすようなもの。この悪を受けてきたことで自分がどれだけ苦しんできたかを思えば、たとえその相手が自分を苦しめてきた相手であっても、その相手に自分の味わった苦しみを味あわせることはどんなに酷い行為であるか分かる筈。
だから、他人を傷つけるような行為はたとえ相手がどんな相手であってもやめなければと思わなければならない。
それは自分も苦しみを味あわせた相手と同じように他人を傷つけるような悪い人間になってしまうからだけでなく、その報いで自分も苦しむことになるから。
復讐は自分も相手も苦しむ行為。それによって誰も幸せになれないから、やめなければならないのである。

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