人は責めても変わらない

相手が間違ったことをしていると、その相手を非難して責めたい心が起きる。責めるのは、相手の間違いを正して直したいから。その心には間違いをする相手が悪いから、相手が反省して直して当然だという心がある。私たちは自分は変わらず、相手が変わればいいと思っている。だから、相手が自分の常識から見て間違ったことをしていると、間違いを正したいと思って、相手を責める。自分の思い通りにならないことは、みんな相手が悪い。相手がこんな悪いことをしなければ、私は嫌な気持ちにはならない。そう思って、自分の思い通りの世界になるように、相手が反省して正すべきだとかんかんに信じている。
でも、責めても人は変わらない。変わったように見えるのは、私と一緒にいなければならない理由があるから。嫌でも私と一緒にいないといけないから、我慢して私の前では気をつけるだけ。でも、責める人は相手は自分が悪いから直したと思っているから、また、気にくわないことがあると、相手を責める。そうやって相手が変われば、自分は気持ち良く暮らしてゆけると思っている。でも、そうやって責められてゆくと、責められた人は自分は間違っていると思っていないから、なんでこんなに我慢しなけれぱならないのかと思って、責める人から離れてしまう。
責める人は孤独になる。でも、責めるのは、本当は相手の言動によって寂しさを感じたから。だから、こんな気持ちにさせた相手が悪いと思って相手を責める。そうやって、責めれば責めるほど、自分を孤独にさせてゆく。寂しいから責めたのに、最後は寂しい現実が待っている。
責める人は、人は簡単に変わると思っている。間違いを正せば、相手は反省すると思っている。でも、自分が同じことをされたら、素直に反省して正すことができますか?
たとえ直したいと思っても、なかなか自分は変わらない。他人を責める人ほど、自分の間違いを反省することのない人。自分がやらないから、他人は簡単に変われると思ってしまう。でも、人は簡単には変わらない。変わるまでには時間がかかるし、変わるまで支えてゆかなけれぱならない。自分が変わるにも誰かに支えてもらわなけれぱならないし、相手を変えたいと思ったら、支えてゆかなけれぱならない。どちらにしても時間がかかる。それを責めたら人は変わるというのは、相手が変わるまで待ちたくないから。待ちたくないから、すぐに変わって欲しいと思って責めてしまう。世の中、待つ人がいない。みんな思い通りにならないことがあると待ちきれず責める人ばっか。それだけ、変わるまで待ってもらった経験がない人ばかりなのかも知れませんね。

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